【 福 島 の 風 光 】
 郷里である伊達市(旧伊達町)を中心に、風光明媚な福島を紹介します。
伊達市は福島県中通り、県北に位置し、海に山に車で一時間程のロケーション。
吾妻連峰、相馬、会津、宮城県南部、山形県南部が行動範囲。
訪れた地域の食や伝統文化、郷土史にも触れられたらと思います。

2016年11月19日土曜日

【第九十二回】新宮熊野神社長床と一ノ戸川橋梁と山都の新そば



 2016年11月18日。
 西の空が素晴らしい日本晴れなので、喜多方市にある新宮熊野神社長床まで出かけることにした。

 長床は昨年11月9日にも訪れている。

 【第五十回】福島の秋2015〜猪苗代町・土津神社と喜多方市・新宮熊野神社〜
 http://onotoshiaki.blogspot.jp/2015/11/blog-post.html






 8時20分、伊達を出立。
 飯坂温泉経由でフルーツラインに出、途中から広域農道に入り、JR奥羽本線(「伊達〜新宮熊野神社長床」地図B)の手前から吾妻山を眺める。
 空気がキリッとしまってきている。




 国道115号線を走り、土湯トンネルを抜けて猪苗代町に入った。




 11月7日に同じ道を通った際、【第九十回】に記した黄金色の風光は、すっかりと落ちてしまっていた。

 【第九十回】猪苗代町土津神社と磐梯山と桧原湖周辺のカラマツ
 http://onotoshiaki.blogspot.jp/2016/11/blog-post_8.html




 磐梯山も晴れ。


 9時41分、土津神社(「伊達〜新宮熊野神社長床」地図C)にも寄ってみた…。






 が、紅葉色の絨毯も鮮やかさを失っていた。


 県道7号線に出、西へ。
 磐梯山の麓を走る。
 少しの間、左下に猪苗代湖が見下ろせた。




 9時59分、道の駅「ばんだい」(「伊達〜新宮熊野神社長床」地図D)に到着。
 猫魔ヶ岳(右)と雄国山(左)の山頂付近は、霜か霧氷か、薄っすらと白みがかっていた。

 道の駅ばんだい 徳一の里きらり
 http://www.michinoekibandai.com






 「ふるさと新鮮農場」で白菜などを調達。




 「BANDAIコーナー」では来る度のお約束、「こいつ、動くぞ!」とパチリ。

 ここでは「バンダイ」の商品が全品10%引きで購入できる。
 機動戦士ガンダムをはじめとした人気商品が揃っている。

 道の駅ばんだい BANDAIコーナー
 http://www.michinoekibandai.com/shop.aspx?ID=freshfarm


 小休止の後、県道7号線を喜多方市へ向けて出発した。

 喜多方市街に入って、国道121号線との交差点を右折。
 121号線を北上し、右手に塩川中学校が見えたらその先の交差点を左折して、県道61号線に入る。
 JR磐越西線の上を越えたら交差点を右折し、その先の信号で左折して、道なりにずっと行くと塩川町大田木の田んぼの中を走る。
 前回訪れた際にはその辺りで籾殻焼きをやっており、車の中まで燻された…。

 やがてT字路に突き当たり、「右長床」の案内表示がある。
 右折してしばらく行くと、左手に大銀杏の気配を感じるようになる…。

 10時37分、新宮熊野神社長床へ到着。
 拝観料300円を納めて、参道を歩いた。

 長床の凛とした佇まいは壮観!新宮熊野神社と合わせてご紹介します。|Find Travel
 http://find-travel.jp/article/7395




 樹齢600年と言われる大銀杏との再会だった。
















 国重要美術品に指定される銅鐘。
 貞和5年(1349)の銘があり、福島県内では最も古い銅鐘だ。












 源頼義、義家親子が天喜3年(1055)「前九年の役」で陸奥征討に赴く際に勧請創建したのが始まりと伝えられる新宮熊野神社については、【第五十回】に詳しく記してあるので、そちらをご覧ください。




 ここでは婚礼の記念写真も撮れるようだ…。
 二人の門出に、さぞや思い出深い秋となったことだろう。





 新宮熊野神社を発ち、次の目的地、JR磐越西線「一ノ戸川橋梁」へ向かった。
 11時12分、「一ノ戸川橋梁」(「新宮熊野神社〜一ノ戸川橋梁」地図B)の下に着く。







 磐越西線で「山都の鉄橋」として親しまれているのが、喜多方~山都間の一ノ戸川橋梁です。高さ24m、全長445mに16径間(橋脚・橋台間)の鉄橋が架かり、中央部は上路式のボルチモア・トラス橋です。架橋は明治41年(1908)で米国アメリカンブリッジ社が製作し、米国人技術者のクーパー、シュナイダーが設計を行ないました。
 ボルチモア・トラスは軽量化のため、トラスの斜材に副材を挿入させて分格化を図ったペチットトラスの一種で、曲弦トラスのものは「ペンシルベニア・トラス」、平行弦トラスのものが本橋などの「ボルチモア・トラス」と呼ばれ、それぞれ独特の構造美を持ちます。また、格点(トラスの接続点)を太く大きなピンで結合させているのも特徴です。これは「ピントラス」と呼ばれ、古い鉄橋に多く見られます。
 磐越西線は東京と新潟方面を結ぶ重要な交通路として建設が行なわれ、一ノ戸川橋梁は当時、「東洋一の規模」の鉄橋と言われました。橋脚には地元産出の花崗岩を使用。鉄橋建設の苦労は甚大で、竣工時には地元住民も大いに喜んだそうです。

 (「トレたび 鉄道遺産を訪ねてvol.9」一部引用)

 一ノ戸川橋梁|トレたび 鉄道遺産を訪ねてvol.9
 http://www.toretabi.jp/history/vol09/01.html




 右奥に見えるのが雪を被った飯豊連峰。
 100年以上の後にも現存し、橋梁を列車が走っていることに驚かされる。

 「一ノ戸川橋梁」の下を潜り、橋を渡ると、一つ目の信号の角にそば処「萬長」(「新宮熊野神社〜一ノ戸川橋梁」地図C)の看板が目に入る…。




 11時30分、2014年10月11日以来に山都町のそば処を訪れた。

 山都蕎麦「萬長」
 http://mantyo.jp/


 そばがきと天ぷらせいろを食す…。
 そばがきは写真を撮るのを忘れて食べてしまった。
 天ぷらは海老、ナス、春菊、舞茸、サツマイモで、サクッとした衣のつけ方が良い。
 キンと冷たい歯触りを残すそばも好みだ。




 2014年10月7日、私が人形町で勤めていた時に「萬長」は日本橋ふくしま館「MIDETTE」のイートインコーナーに出店され、昼餉に高遠そばを味わった。

 日本橋ふくしま館「MIDETTE」
 http://midette.com

 辛味大根つゆでそばを手繰ると旨く、大根が入ったつゆをそば湯で割り、三杯飲んで和んだ。
 「萬長」のお母さんによると、その昔、会津の殿様が信州高遠で食べた辛味大根つゆのそばを持ち込んで、高遠そばと呼ばれるようになったそうだ。

 その週末、体育の日の連休を絡めて伊達に帰省した。








 2014年10月12日、山都町まで出かけ、「萬長」のそばセットを手繰った。
 ニシンの山椒漬け、湯葉、そば饅頭がついている。
 お母さんと再会し、ご挨拶した。



 11時50分、来た道を戻る…。






 反対側から見る「一ノ戸川橋梁」。
 電車が通過するタイミングに合わなかったけど、たまにSLが走るようだ。
 時折、夜にライトアップされ、幽玄な姿を浮かび上がらせている。

 JR磐越西線 SLばんえつ物語(一ノ戸川橋梁)
 https://youtu.be/TqYeIC0AVgc

 一ノ戸川鉄橋ライトアップ|喜多方観光物産協会
 http://www.kitakata-kanko.jp/event/detail.php?id=18




 国道121号線を走って、米沢経由で伊達に帰ることにし、濁川を渡った。




 飯豊山も晴れ!
 もうすぐ麓まで雪色に変わるだろう…。






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